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戦国武将・真田幸村(真田信繁)についてのあれこれ情報

真田幸村と伊達政宗は敵同士だけどライバルではなかった!?

ライバル

戦国を代表する人気を博している真田幸村ですが、彼に負けないくらいの人気を誇るのが”独眼竜”の異名をもつ伊達政宗(だてまさむね)です。

人気ゲームでの影響か、真田幸村と伊達政宗はライバル同士だと認識されている事が多いようです。

では、実際の二人の関係はどのような物だったのでしょうか。

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真田幸村と伊達政宗それぞれの立場の違い

真田幸村と伊達政宗は、少なくとも友人ではありませんでした。
なぜなら二人は常に相反する勢力に属していた、いわば敵同士なのです。

兜

また真田幸村と伊達政宗は年齢こそ近いものの、お互いの立場はまったくの別物でした。

真田幸村は弱小勢力のせがれで「大坂の陣」まで戦に出て活躍した経験もほとんどなく、武将としては恵まれない境遇でした。

一方、伊達政宗は奥州の過半数を手中に収め「奥州筆頭領主」として君臨、60万石以上の石高を誇る大大名です。
戦国時代という舞台への登場こそ遅いものの、武将として多くの戦を経験しています。

真田幸村と伊達政宗はライバルではなかった?

真田幸村がある種の目標として、伊達政宗を「ライバル視」していたとしても不思議ではありません。
しかし大大名の伊達政宗からすれば、真田幸村は歯牙にもかけない「その他大勢の一人」くらいの認識だったのではないでしょうか。

ちゃんばら

この二人が対峙したのは大阪の陣、道明寺の戦いでの事です。

豊臣軍の殿(しんがり)として味方の撤退を支えた真田幸村と、追撃してきた徳川軍の伊達政宗がぶつかったのです。

この戦いは真田幸村を含む豊臣軍撤退という形となりました。
ゲーム等でイメージされる、溌剌としたライバルのイメージとは随分違うものだといえるでしょう。

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敵である真田幸村の血筋を守った伊達政宗

常に敵同士とは言え、立場上の違いからあまり接点がなかった真田幸村と伊達政宗。

しかし、二人の関係は希薄とは言い切れない一つの逸話があります。

真田幸村は大阪の陣で命を落としていますが、子ども達は伊達政宗に保護され生きながらえています。

赤ちゃん

真田本流とは別のいわゆる「仙台真田家」を興し、本来であれば真田幸村の血筋が途絶えるところを救ったのが、他でもない伊達政宗だったのです。

最後に

伊達政宗が、敵であるはずの真田幸村の血筋を守った理由については諸説あります。

大阪の陣での戦いぶりで評価を高めた真田幸村に感心したため、反徳川勢力を匿う目的だったためなど様々。
本当のところを伊達政宗本人に聞いてみたいところですね^^

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      2016/04/09


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