さなコレ

戦国武将・真田幸村(真田信繁)についてのあれこれ情報

真田幸村が九度山で送った、13年間の苦しい幽閉生活

鹿威し

九度山(くどやま)は、現在の和歌山県にあるのどかな地域です。
真田幸村の人生において、九度山は欠かすことの出来ない場所と言えます。

今回は、真田幸村が幽閉生活を送ったと言われる「九度山」についてご紹介しましょう。

<スポンサーリンク>

真田幸村と父が幽閉生活を送った「九度山」

天下分け目の戦いと呼ばれる「関ヶ原の戦い」で西軍は大敗し、世の勢力は徳川へと大きく傾いていきます。

西軍に味方した真田幸村と父・昌幸は、本来なら極刑に処されても仕方がありませんでしたた。
しかし徳川に味方し活躍した兄・信之が助命を懇願したことで、二人は九度山への幽閉を言い渡されます。

九度山での生活は非常に厳しいものだったらしく、監督役からは年50石(こく)しか支給されていません。
徳川譜代の家臣が800石ほどなのですから、50石の生活がいかに厳しいがわかります。

また幽閉生活は父と幸村の二人だけではなく、彼らの家臣や家族もいたので生活することすら難しい状況だったようです。

九度山での苦しい幽閉生活

九度山での苦しい生活を伺えるエピソードがあります。

真田幸村の兄・信之は、徳川に味方したことを評価され大名となっていました。
その兄のもとへ、「九度山の生活が苦しく借金もあるので、お金を送って欲しい。可能な分だけでもいいので直に送って欲しい」という内容の手紙を送ったとされています。

書状

また真田幸村が九度山村村民の元へおもむき、「持参したツボに入る分だけのお酒を分け与えて欲しい」と懇願したといい、その礼状が残っています。

真田家と九度山村民との関係は悪くなかったようで、友好的に真田家を支援してくれていたとされています。

<スポンサーリンク>

なんとか幽閉生活を乗り切ろうとした真田一家

真田幸村の妻・竹林院(ちくりんいん)は、幸村の故郷の織物から「真田紐(さなだひも)」とよばれる工芸品を発案し、それを家臣に行商させ家計を助けました。

この真田紐は、茶道具の外箱の止め紐武具などにも使用され、高級品としてもてはやされました。

紐

苦しい幽閉生活を、家族一丸となり乗り切ろうとした姿をうかがい知れるエピソードですね。

父・昌幸は徳川家康に何度も許しを請いましたが、それが断られ続けるとついに諦め、「大坂の陣」直前に九度山で没しました。

最後に

現在の九度山には、真田家由来の品が展示してある「真田宝物館」があります。

真田幸村ゆかりの地ということもあり、人気観光名所のひとつとなっていますので、機会があれば一度足を運んでみてはいかがでしょうか^^

<スポンサーリンク>

      2016/04/09


戦国ブログランキング参加中!
にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ

この記事にコメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

ページトップ