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戦国武将・真田幸村(真田信繁)についてのあれこれ情報

真田幸村が村松殿に送った手紙からわかる姉弟の良好な関係

夕日

真田幸村の姉・村松殿(むらまつどの)は真田家の長女であり、のちに小山田家に嫁いでいます。
村松殿も真田幸村と同じく人質となった経験があり、二人の仲はとても良好だったと言われています。

今回は、そんな真田幸村と姉・村松殿についてご紹介しましょう。

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小山田家とは?

村松殿が嫁いだ小山田家はもともと武田家家臣の一つでしたが、武田勝頼(たけだかつより)の時代に武田家から出奔しました。

その後、当時の勢力の間を上手く渡り、後に真田幸村の兄・信幸の家臣となり、松代藩の家老家として存続していきました。

織田家の人質となった村松殿

松村殿も真田幸村と同様に、人質生活を経験しています。

村松殿が婚姻した直後の1683年、北条家との関係が悪化した真田家は、織田家への恭順を織田信長に願い出ます
その際、村松殿を人質とし、さらに名馬数頭を織田信長の居城である安土城(あづちじょう)に送っています。

馬

しかし恭順した直後に、「本能寺の変」で織田信長が命を落とし、村松殿は小山田家へ帰参しています。

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真田幸村から姉・村松殿にあてた手紙

村松殿と真田幸村の仲はとても良かったとされており、それをうかがうことができる手紙も残っています。

手紙が書かれたのは「大阪冬の陣」でのこと。
村松殿の息子、小山田之知(おやまだゆきとも)から村松殿が心配している旨を聞いた真田幸村は、急いで手紙を書き、姉に渡してくれるよう託したといいます。

「時の流れからか私は息子と共に大坂に味方しており、それをおかしな事だと思っておられるでしょう」

「幸いまだ身は無事であり、近くお会いしたいと願っています。之知とも会うことはありますが、この状況ですのでゆっくりとお話できずにいます」

書状

大阪冬の陣で真田幸村は「豊臣軍」に味方し、兄・信幸は敵対する「徳川軍」として参戦していました。

村松殿が嫁いでいた小山田家は信幸の家臣であるため、当然徳川派として参戦しており、真田幸村とは敵同士という関係だったのです。

やがて大阪冬の陣は「徳川有利の状況で和睦」となり、終結しました。

真田幸村は大活躍した「大坂冬の陣」で発言権がなかった!?

真田幸村の手紙からわかる姉への気遣い

真田幸村が姉・村松殿にあてた手紙は、実際には“かな文字使い”で書かれています。

武人である真田幸村は本来、漢字を主体とした“真名文字使い”をすべきなのですが、当時、かな文字使いが女性の作法とされていたため、わざわざ仮名文字使いで書いたと言われています。
姉弟の良好な関係が伝わってくる逸話のひとつですね。

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      2016/04/09


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