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戦国武将・真田幸村(真田信繁)についてのあれこれ情報

真田幸村の簡単な年表から見る、戦国武将としての不運な生涯

夕日

戦国の勇、真田幸村。
昔から現代にいたるまで、多くの人から愛され続ける彼はどのような生涯を送ったのでしょうか。

今回は戦国武将・真田幸村の生涯について、簡単にまとめてみました。

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真田幸村の簡単な年表

1567年(0歳)※1570年説もあり
 真田幸村誕生
 真田家の当主・幸綱が武田信玄に仕えており、
 幸村の父・昌幸は武藤家足軽大将。
 幸村は人質として武田家へ
1575年(8歳)
 父・昌幸が真田家の当主となり、武田家から真田家へ帰参。
 幸村も父とともに岩櫃城(いわびつじょう)へ。
1582年(15歳)
 武田滅亡により主家を失った真田家は、織田家に恭順。
 その直後に「本能寺の変」にて織田信長が命を落とす。
 混乱に乗じて、真田家は旧武田の人材を取り入れたとされる。
1585年(18歳)
 真田家は上杉家に仕えることになり、幸村は人質として上杉家へ
 その後、天下の実権を掌握しつつあった豊臣秀吉に上杉家が仕える事になる。
 それに伴い、幸村は人質として豊臣家へ
1590年(23歳)
 北条征伐の緒戦、真田家は石田三成率いる軍に参加。
 幸村はこの中の忍城攻めに参加する。
1594年(27歳)
 秀吉に豊臣性を賜り、豊臣幸村(信繁)となる。
 それに伴い、官位も授かる。
1600年(33歳)
 関ヶ原の戦い
 幸村は父・昌幸と共に西軍につく。
 上田城にて東軍主力の徳川秀忠軍相手に篭城戦を展開。奮戦するも西軍は敗れる。
 東軍についていた兄・信之の助力によって極刑を免れ、九度山での幽閉生活を送る
1612年(45歳)
 なくなった父の供養のため、幸村は武家身分を捨て、僧籍にはいる。
 (身分上僧侶となる)
1614年(47歳)
 大坂冬の陣
 幸村は大坂方より誘われ参戦。
 真田丸を築いて奮戦し、徳川方を苦しめる。
1615年(48歳)
 大坂夏の陣
 序盤で幸村は戦地到着に遅れてしまい、それが原因で豊臣の主力の多くを失う結果となるも、撤退戦で殿(しんがり)を務め、豊臣軍の大壊滅を防ぐ。
 その後、他の部隊とともに徳川本陣を急襲し、徳川家康をあと一歩のところまで追い込む。
 最後は敵に包囲され壊滅。負傷し動けずに居た幸村は、安居神社で松平家西尾宗次に首を獲られる。

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まとめ

真田幸村の生涯を見てみると、その人生の殆どを人質・幽閉に費やしていることがわかります。武将としては不幸といわざるを得ません。

真田幸村の名が広く知られるようになったのが「大坂冬の陣」(当時48歳)での活躍のことなので、武将としては遅咲きだと言えます。戦地への遅参など致命的な失態も目立ちます。

しかし、その最期は人の心を打つほどに華やかであり現在の人気に繋がっています。

真田幸村の大舞台!「大坂夏の陣」で見せた最後の勇姿

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      2016/04/09


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