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戦国武将・真田幸村(真田信繁)についてのあれこれ情報

人気武将・真田幸村の誕生日と出身地があいまいな理由とは

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日本一の兵(ひのもといちのつわもの)と評される幸村ですが、実は「大阪の陣」まではほとんど名を知られていませんでした。

幼くして武田家へ人質として送られ、武田が滅んだ後は豊臣秀吉に仕えるのに併せて豊臣家へ人質として送られたことに関する情報がほとんどなのです。

そのため真田幸村の誕生やそれに伴う資料が少なく、資料によって生年月日が不確かであったり、生誕の地も定かではないのです。

今回はそんな謎に包まれた真田幸村の生誕についてご紹介しましょう。

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真田幸村は兄を支えることを望まれて誕生した?

真田幸村は1567年(永禄10年)、または1570年(永禄13年)に真田昌幸の子として誕生しました。

生誕地は信濃国、現在の長野県上田市周辺だとされています。

赤ちゃん

真田幸村が生まれたとき、真田家は武田信玄(たけだしんげん)に恭順しており、また父・昌幸と武田信玄との関係は良好であったとされます。

その事と関係があるのか定かではありませんが、真田幸村の本名は信繁(のぶしげ)といい、信玄の弟・武田信繁(たけだのぶしげ)と同じ名前です。

武田信繁が兄の影武者となり支えたように、真田幸村にも「兄を支えよ」という願いを込めて信繁の名を与えられたという説があります。

真田を代表する武将になるのではなく、真田家次期当主である兄・信之を支えることを望まれていたのではないかというのは非常に興味深い話ですね。

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真田幸村に生誕の逸話が少ない理由

有名な武将には生誕などの逸話が多くつきものですが、意外なことに真田幸村にはこういった逸話がほとんど存在していません。

その理由は、真田幸村の知名度に大きく関係していると思われます。

兜

今でこそ戦国武将の中でも随一の知名度を誇りますが、戦国時代に真田幸村の名はほとんど知られていませんでした。

冒頭で説明したとおり幼い頃からの人質生活が長く、名を上げる機会そのものが多くなかったのです。

そのため真田幸村の若い頃の情報はもちろん、他の人気武将に見られるような魅力的な逸話は非常に少ないのです。

最後に

真田幸村が長い人質生活を送ったことは、武将として不運としか言いようがありません。

ただ、そのことが逆に「大坂冬の陣」での活躍をより際立たせることにつながり、昨今の真田幸村の人気の要因となっているという見方もできます。

”謎に包まれた存在”から大阪の陣での華やかな活躍をしたという飛躍性も、真田幸村のひとつの魅力と言えるのかもしれませんね。

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      2016/04/09


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