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戦国武将・真田幸村(真田信繁)についてのあれこれ情報

真田幸村の実家「上田城」が天下分け目の戦いで活躍していた

城

上田城は真田家の本拠になっていた城です。
一般的に、城としてイメージするような城郭や高層の本丸はなく、「比較的質素な造り」になっています。

しかし随所に、山岳での戦に対する工夫が凝らされている”実用性重視”のお城と言えます。

今回は、真田幸村にとって実家にあたるお城「上田城」についてご紹介しましょう。

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関が原の戦いで大活躍した「上田城」

真田幸村にとって「大きな時代の流れの一片となる戦」を経験した場所、それが上田城です。

天下分け目の大戦といわれる「関ヶ原の戦い」ですが、関ヶ原以外の各地でも、壮絶な戦いが繰り広げられていました。

上田城もその一つであり、関ヶ原の戦いを語る上で欠かすことの出来ない戦の舞台です。
真田幸村は父・昌幸とともに西軍に付くこととなり、この上田城に篭って戦うこととなります。

上田城の”籠城戦”で敵の戦力を大きく削る

天下分け目の戦いに向けて各将が進軍する中、東軍である徳川家康の息子・秀忠(ひでただ)率いる部隊も「関ヶ原」へと向かっていました。

その道中、上田城で補給を受ける手筈となっていましたが、真田父子が西軍につき敵同士となってしまったため、真田VS秀忠軍の戦に発展します。

智力を尽くして戦う上田城に秀忠軍は大苦戦し、多くの時間を「上田城戦」に費やしてしまいます。

ちゃんばら

結果、秀忠軍は「関ヶ原」の開戦に間に合わず、東軍は徳川数万の主力部隊を欠くという大きな痛手となりました。

残念ながら、関が原の戦いでは東軍が勝利しました。
しかし上田城での真田父子の活躍が、「関ヶ原開戦直前の西軍に有利な状況を生み出す」という非常に大きな働きを見せたのには違いありません。

上田合戦で徳川の大軍に大勝利!真田幸村と父昌幸の活躍とは

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上田城と同じく重要な「大坂城」

上田城は真田幸村にとっての実家とも言える場所ですが、真田幸村を語る上で欠かせないもう一つの城が「大坂城」です。

大坂城は当時、最大規模の城郭を誇る城で、真田幸村の名を戦国の世に轟かせるきっかけになった場所でもあります。

城

大坂の陣」で迫る徳川軍に対して、真田幸村が味方する豊臣軍は大坂城での篭城戦を選択しました。

真田幸村は大坂城の一部に防御が手薄な場所を見つけ、そこに「真田丸(さなだまる)」と呼ばれる出城を築きます。
真田丸を用いた幸村の活躍はすさまじく、攻め手の徳川軍は大きな損害を出しました。

この大坂城での戦いにより、戦国武将・真田幸村の名は一躍世に知れ渡ることになったのです。

真田幸村が築いた「真田丸」は弱点を補うためのものだった!

最後に

籠城戦を得意とする真田幸村の活躍は、城抜きでは語りきれないでしょう。

上田城では名将の父・昌幸に武将として多くのことを学び、また大坂城は真田幸村の実力を世に示した非常に重要な場所と言えますね。

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      2016/04/09


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